三浦春馬さんの死を通して感じたこと。そして命を生きること。

三浦春馬さんの死

今年は、ビジネスホテルの一室で誕生日を迎えている。

なぜホテルにいるかというと、明後日引っ越しを控えているから。

現況復帰の関係でエアコンを先に外さなくてはならず、この酷暑の中クーラーなしで日中荷造りと仕事をしているのだが、それがあまりに辛いのと(笑)風が通らなくて夜とても眠れず、ここ数日は夜移動して夫とビジネスホテルに宿泊している。

効率は悪いし判断ミスったな~と思うのだけど、こうやってハプニング?に見舞われながら、すったもんだしている感じが、生きている!!って感じで、とっても楽しい。後に「あの時の真夏の引っ越しは酷かった」とネタにできるんだろうなと思うと、人生っておもしろい。

そして、今日は獅子座の新月でもある。

私の中で、大きく何かが切り替わっていくような気がしている。

だから、今日の誕生日を迎えるにあたって、私なりに命について最近感じたことを、残しておきたいと思う。

目次

三浦春馬さんの死を通して

「死」をテーマに何かを書くということは私にとってとても恐怖で、これまでの自分なら想うだけに留めていたけれど、今回は思い切って書いてみたいと思う。

先月、俳優の三浦春馬さんが亡くなった。

三浦春馬さんは画面を通して見る遠い世界の素敵な俳優さんで、もちろんお会いしたこともなければ、ものすごくコアなファンで彼のことをいろいろ知っているというわけでもなかった。

テレビもめっきり見なくなったので、最近の彼の作品もほとんど知らない。

でも、彼の死が私に与えた影響はすさまじかった。

第一報をネットニュースで見た時に私はガーーーンと頭を鈍器で殴られたような衝撃を受け、

その後仕事が手につかなくなったのだ。

自分の中で処理できない感覚に陥り、気づけば夫に話を聞いてもらいながら涙がぽとぽと落ちていた。

会ったこともないのに、よく知りもしないのに、泣けて泣けて仕方なかった。

私自身が、消えたくなった。

この感情的反応が起きて自分で自分をコントロールできなくなる感じを、幼い頃から「私って変だよな」とか、「人と違う」、「私ってほんとめんどくさい女」と思っていたのだけれども、

心の学びを通して、私は自分が感じているどんな感情も感覚も、大切にしてあげたいと思うようになった。

その奥にある本当の私を、見つけてあげたいと思うようになった。

だから、とことん、今回は「あえて」この感覚に浸ってみようと思った。

ちょうど、月に10回のヒーリングを行ってもらう「メディカルヒーリング」を受けている最中だったので、ありがたいことにセッションのタイミングで自分の反応について扱ってもらった。

結果的に、私はこの三浦春馬さんの死をテーマに3回も違う角度からセッションを受け、そして毎度呼吸困難になるほど泣いた。

そもそもの大前提として、私たちは普段、自分のフィルターを通して人や世界を見ている。

自分自身の思考や概念が世界を作っている。

だから、見ていくポイントとしては、「私が三浦春馬さんに何を投影して、何を感じているか、そこにどんな傷があるのか」ということになる。

彼を通して「自分の中の」何かを見ているから、こんなに感情が揺さぶられた、ということなのだ。

1,「救えなかった」という想い

ニュースで一報を聞いて夫に話を聞いてもらいながら涙を流したとき、

一番最初に私に出てきた感覚は「救えなかった」「間に合わなった」という想いだった。

(しつこいけれど)会ったこともない芸能人を「救えなかった」なんておかしいし、人を「救う」という言葉さえ傲慢だとも思える。

けれど、その時の本当に私はそう思ったのだ。

他人であっても、実際に会ったことがなくても、私たち人間はエネルギー体であり、お互いに影響し合っている。

だから、三浦春馬さんという存在も、本当は私の一部であり、どこかで繋がっている存在だと思うのだ。

あれだけ才能があって、誰に対してもきっと優しくて、たくさんの人に愛されていたにも関わらず、彼はきっととても苦しんでいた。

本当のことは本人にしか分からないし、彼が選んだ選択を否定する気持ちは全くないけれど、

彼が自分を第一優先にして、自分で自分に愛を流せていたなら、死を選ぶことはなかったのではないかと、「私は」感じている。

自分で自分の気持ちに寄り添い、自分を心から愛すること。

それはずっとずっと私ができなくて、だからこそ心の学びをはじめた。

だから彼を通して私に浮上した最初のメッセージは、「自分を愛せ」。やっぱりここにたどり着く。

そして、人間にとって、そして人生において、究極の目標はそこなんじゃないかと思っている。

自分で自分を愛することの大切さ、その方法を、もっともっと伝えていかなくては!!という使命みたいなものが私の中に強く湧き出てくる。腹の底からマグマのように。

だから冒頭の「間に合わなかった」という想いも出てきたのだ。

日本では年間2万もの人が自ら命を断っている。

その現実に対する悔しさをとても感じる。

ちんたらしてんじゃないよ、私!!という、自分自身への怒りが同時に湧いてくる。

私にとってとても大きな転換点になったと思う。

2,親が子供の素晴らしさを奪ったという想い

そして2回目のセッションで出てきた私の投影ワールドは、

「親が子供の素晴らしいエッセンスを奪った」という想いだった。

これは私の親への潜在的な怒りをものすごく投影していることが、すぐにわかった。まだまだこんなにも強い感情があるのかと思い知った。

私たちは完璧な状態でこの世に送り出される。

けれど、この地球で生き、学んでいく上で愛ゆえにたくさんの傷を作り、そしてそれを愛で溶かしていくことを繰り返しながら、魂を成長させていく。

親は愛ゆえに、もしくは愛の伝え方が不器用なゆえに、そして子供は親を愛するがゆえに、傷を作ってしまう。

そうしてたくさんの感情的な痛みや思い込みを作ることで自分を守っていくのだけれども、その時同時に、純粋無垢な自分を抑圧してしまう。

例えば私で言うなら、「自由に表現する」ということに長年強烈なブレーキがかかっていた。

(これは個人的な親との関係だけでなく、人類の集合無意識のレベルで入っている。)

その痛みをまだ私自身が溶かしきっていないから、親への怒りがくすぶっているのだ。

そのことを、教えてくれたのだと思う。

3,優しくて繊細な人が生きづらい世界だという憤り

そして3つめに出てきた私の投影ワールドは、

どうしてこんなにも優しい人が、死ななければならないんだ

という憤りだった。優しい人が傷つく世界はおかしいよ!!!こんな世界嫌だよ!!なんて世界に生きているんだ私たちは!!!…という叫びのような感情だ。

三浦春馬さんの死のニュースの後、instagramやyoutubeを開くと彼の屈託のないあの純粋なクシャッとした笑顔の写真や動画がたくさんタイムラインに流れてくるようになった。

多くの人が悲しんでいることを痛感した。

私は辛くてたまらないのにどうしてもそれらに目が留まってしまって、いろんな動画をつい眺めていると

本当に本当に優しい人だったんだろうなと知った。

でも、優しいからこそ、本当のところでは生きるのが大変だったろうなと思うと、とてもやるせなくて、私の中の「無力感」が大きく顔を出した。

いろんなことを感じて、相手の望むことや喜ぶことを察知できると、どうしても自分に対してわがままになれない。

私は彼を通して、自分の「優しさ」を見ていたのだろうし、傷つきやすさや繊細さを見ていたのだと思う。

それは誰もが自分の中にあるもので、どれだけ自分の繊細な部分を自分で認識してあげられるか、がポイントになる。

だから、3つめの私が受け取るべきメッセージは「自分の優しさや繊細さに、素直になれ」ということなんだと思う。

起きてくることはすべてメッセージ

まだ、悲しいし、寂しい。

会ったこともないけれど、もし辛くて仕方なかったのならたとえ俳優をやめて私たちからは姿が見えなくなったとしても

どこかで元気に生きていてほしかった、幸せでいてほしかった、という気持ちが拭えない。

それが私の勝手な傲慢な想いだったとしても。

一方で、そもそも「死」自体は悪いものではない。

この世界に生まれ落ちた時にみんなに共通して決まっていることは「いつかは死ぬ」ということだけで、どんな人生を送るかはそれこそ自由だ。

ただ私は今回、

彼の死を通して、自分の中に深く潜り込むことで

感じている感情はすべて、生きる上で何か大切なことを教えてくれるメッセージなんだと、改めて思うことができた。

「死」を深く意識し考えたとき、必然的にその対局にある

「生」を実感することになる。

「命」を考えることになる。

私は、どう生きたいの?

何が好きなの?

誰といたい?

死ぬときに、どんな気持ちでいたい?

いつもこれは、自分の中心に置いておきたい問いだ。

やりたいことがあるなら、

ほしい未来があるなら、

誰にも遠慮する必要はない。

そして先延ばしにしているほど、人生は長くない。

私は、これからとびきり優しい世界を作っていくよ。

だからね、お母さん。

37年前の今日、命がけでこの世界に私を産み落としてくれて、本当にありがとう。

こんなにたくさんの愛を味わえる人生を、与えてくれてありがとう。

あ、お父さんも、ついでにありがとう。(笑)

そして最後に

三浦春馬さん。たくさんの優しさとときめきとくしゃくしゃの笑顔を、

本当にありがとう。

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この記事を書いた人

心理カウンセラー・セラピスト/魔法の杖Webクリエイター

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