4泊5日のアート合宿に参加して。点と点が繋がった!

心理セラピー

心の学びを始めて3年以上。魔女見習いとしても4年以上経過。

たくさんのセッションを受ける中で自分を見つめ、自分を癒やしてきた。

そして気づけばびっくりなことに自らも心の学びの師匠、岡部明美さんのLPL養成講座認定心理カウンセラー/セラピストの資格も取った。

チョモランマ登頂に例えられるハードなこの試験は、自分自身への深い探求の道だった。

さて。試験も終わり、義実家とのひと悶着も終え(笑)、心機一転引っ越しをした。

私はこれからどんな未来を描いていきたいんだろう。

せっかく頑張って資格も取ったのだから、カウンセラー・セラピストとしてもお仕事をしていくのかな?

心のことは発信していきたい。この世界に、自分を愛する人が増えていってほしい。そのコアな部分の私の願いは変わらない。

…でも、カウンセリングをやっていくのかというと、どうもしっくり来ない自分がいた。「カウンセラー・セラピストをやりたいかどうかわからない」「何より、私なんて、スキルも何もかもまだまだだし…」「というか、私やっぱりカウンセラー・セラピスト向いてなくない??」というエゴちゃんとの戦いを繰り返していたのだ。

そこでとりあえず、今のわたしが「やりたい」と思うことを思い切ってやり尽くしてみようと思った。

タイミングよくコンセプターである炭屋昭一郎さん(しょうちゃん)のコンセプティングセッションを受けて、「私はグラデーションで感じあうために生まれてきた」というライフコンセプトが出来上がった(とても気に入っている!(≧∀≦))。

そしてそのセッションを受けるプロセスの中で、「具体的なやりたいこと(絵、書、陶芸etc)をやってみる」ことに意図を立てると、「アート合宿」が開催される情報が飛び込んできた。

私は、思い切ってそのアート合宿に飛び込んでみることにした。

4泊5日のアート合宿に飛び込む

今回のアート合宿は、画家として活動されている大野幸子(ゆきこ)さんと、そのメンターであるアーティストの中村峻介さんがファシリテートして下さった企画。

私はもともと理念づくりという言葉の仕事をされていた幸子さんが絵を描き始め、華麗に画家に転身した姿を見て素敵だなあ…と憧れていた。

幸子さんの絵がアップされているinstagramアカウント。めっちゃ素敵なの、ぜひ!見てみて!(>▽<)

▶幸子さんのHP

そんな幸子さんがアート合宿を開催するなんて、これは逃してはならない!!と思ったのだ。

いろんな調整をして、なんとか参加することができることに。

申し込んだときは「わくわく」しかなかったけれど、日が近づいてくるに連れて、だんだん怖さが出てくる自分を感じていた。

ただ楽しいだけじゃない、何か深いところに潜っていくんだろうな…という予感がしていた。

アート合宿スタート。「世界は怖い」を体感する

1日目は夕方からのスタート。こんな素敵な隠れ家古民家で♥

アート合宿の会場の古民家

みんなとっても感じが良くて、変な緊張感が一切なかった。(私が最年長だったこともあったかも💦)

集まってきたメンバーはすでに絵を描き続けているアーティストと、私を含め絵がまったく初めてなメンバー数名。

自分が自分でいられる安心感は、大切だ。

キッチンで料理をして、みんなで一緒に食べるこの「合宿感」も懐かしかった。

みんなで餃子を作って食べる!
こんな写真しかフォルダになかったけれど、みんなで包んで食べた餃子、美味だった…じゅる。

その日の夜はエニアグラムの話で盛り上がったりして、私は自分の中のエニアグラム知識を振り絞って披露した!笑

でもエニアグラムという共通言語があると、とても関わりやすい。改めて優れた概念だなと思った。

また、しゅんちゃんとは音叉やクリスタルボウル、シータヒーリング、アクセスバーズ、ボディトーク、エサレン、といったキーワードが出てきて驚いたし、なんだかすっかりホームのような居心地の良さを覚えたのだった。

2日目は、いよいよ絵を描いていった。プログラム構成がとても秀逸で、でもカチッとした強制力やルールは一切ない。

まったくコントロールされない感じが、これまたものすごく居心地よかった。

何よりしゅんちゃん先生のプレゼンスが素晴らしくて、私もこうありたいなと何度も思った。

絵と向き合うと、思ってもいなかった自分が出たり、痛みを感じたりした。

▲下腹部に鈍痛を感じて、「第一チャクラか!?」と思い、第一チャクラの赤を手にとって描いてみたもの。

みんなで1つの絵を仕上げていくワークでは、真っ白な紙に筆を入れることの怖さをものすごく感じた。

みんなで描いた絵

私がここに1筆入れることの影響力が怖く、前に進めない感じ。

まだまだ「世界は怖い」という前提が強大であることを、思い知らされた。

こんなに怖かったんだよね、と。自分を自分で抱きしめてあげた。

そして他のメンバーが線を伸ばして私の描いている絵と繋がってくれたときの、ものすごい安心感。

私は、一度も自分から線を伸ばすことができなかった(笑)

けれど、来てくれるのはうれしい。温かく迎え入れたい。受容したい。

それは、私の普段のコミュニケーションパータンそのものだと思ったし、それを悪いこととジャッジせず、「それが私にとっての心地よさなんだ」と思えたことは大きな発見だった。

そんな2日目の夜。

このメンバーの素晴らしさは、きちんと意識が自分の内側を向いていること。

こんな若いのに、ほんと素晴らしいよ…(終始感動しきりだった。)

だから、絵を通して自分と向き合うことで、いろいろなことが浮上してくる。

あるメンバーが、私に話を聞いてほしいと訪ねてきてくれて、セッションをさせて頂くことになった。

ネガティブに思える闇こそ、反転したら大きな光になることを、実感できる時間だった。

また、私が私でただ「在る」ことで起きるこのプロセスを、すごく愛おしく感じた。

100枚ドローウィングに挑戦した3日目

3日目は、100枚ドローウィングに挑戦した。

初めてのことだったけれど、これはなかなか楽しかった。気づけば何時間も集中して描いていた。

100枚ドローイング

描いた後はしゅんちゃん先生が絵をカテゴリー分けしてそこから読み取った・感じ取ったことをフィードバックしてくれる。

とても興味深かったなあ。

最終的に、私はかつてお産婆さんとかをしていたのかも、もしくは宇宙にて地球に飛び込む魂を振り分けたり、名付けたりする役目を持っていたのかも、ということになった。

ひゃー!なんということでしょう。でもそれね、納得感あるんですわ。笑 言語化できないのだけど、やっていたような気がする。

一番エネルギー値が高いと言われた絵は、確かに私の中で無作為なもので、そこに自分が入っていない感じがした。

見えないものを思考で理解するのではなく、見えないまま信頼して明け渡す感覚。

それは、リーディングをしているときや、共鳴が起きながらセッションが進んでいくときの感覚とすごく似ている。きっと一緒。

この感覚をまさか絵を描くことでも体感することができるなんて、とても心が震える思いだった。

4日目で、揺れ動く

4日目は、いよいよ大きめのキャンバスに描いていった。

「2分した私」というテーマがあり、白と黒のキャンバスが与えられた。

ここからが、苦しかった。

全然、思ったように描けない。もっと素敵に描きたいのに。もっとうまく描きたいのに。みんなすごく素敵なのを描いているのに。私にはできない、私はやぱりクソだ!

…といった強烈ジャッジモードに突入。笑

私はずっと怒りとつながることがテーマだったので、黒いキャンバスに「怒り」白いキャンバスに「繊細さ」を描いた。

怒りは、怒りをぶつけながら描いているとどんどん増幅されて、涙がボタボタ出てきた。多分鬼みたいな顔になっていたと思う。笑

でも「繊細さ」が難しかった。「うまく」描けなくて、何度も塗りつぶしているうちに、よくわからない絵になってしまった。とても繊細さを描いているようには見えなかった。

みんなにいろんなことを相談しながら、それでもここまでにしよう、と思えるところで終わらせた。

そして次のキャンバスも苦しかった。ポップなかわいい絵にしようと思ったけれど、やっぱり私にはできない。

キャンバスと向き合う

また塗りつぶす。

一度絵を全部塗りつぶして…

強烈な頭痛がやってきて、呼吸も浅くなっていたので、散歩に出かけることにした。

そして心を落ち着かせるために、持参していたOSHOカードを引く。

困ったときのOSHOカード

出てきたのは「ヒーリング」と「インナーボイス」。泣けてきた。

そうだ。私がこの合宿に来たのは、きっと素敵な絵を描くためじゃない。この絵を描くという行為を通して、自分を癒やしにきたのだ。

どこまでも、外からの評価や美しさじゃなく。自分の内側に声を向けること。

そう思ったときに私が手にとったのは、青系の絵の具だった。

そこから、私の悲しみ、寂しさ、切なさを絵の具とともに流していった。涙も止まらない。

それは、完全にセラピーだった。

自分と繋がりなおした、セラピーだった。

そしてその夜も、また忘れられない出来事があった。

また別のメンバーが私の元を訪れ、セッションをさせて頂くことになったのだ。

それはそれは、尊くて愛おしい、真実の時間だった。

すべてを信頼して預けてくれることのありがたさ。その場に立ち会わせてもらえることの幸せ。魂の滋養となる歓びだった。

そしてその日は朝の5時まで描き通した!笑

ま~、ぐうたらな私が5日間まったく昼寝もせずよくあそこまでコミットできたなーと今振り返ると信じられないんだけど、

それだけ夢中になっていた私がいたし、

こんなに夢中になれる自分に出逢えたことが何よりのギフトだった。

最終日は対話型芸術鑑賞会

そして迎えた最終日。

結局、「素敵な絵を描くこと」を手放した私は、一番大きなキャンバスの作品を5時まで描いて、途中で終えた。

そう、「未完成なままの私を愛する」ということを選択してみたのだ。

完璧にできないくせに完璧主義でいつも自分を苦しめる人生だったけれど、もう足りないところに目を向けるのはやめよう。

未完成のままで自分を愛したいし、そのほうがきっと人生は豊かになる。

だから、なんの悔いもなく晴れ晴れとした気持ちだった。

最終日は、幸子さんの企画で外部からファシリテーターの方をお呼びして、みんなが描いた絵から感じることをそれぞれにシェアしあう対話型芸術鑑賞会を行った。

これまで、作品の評価の対象として見られる経験ばかりで、大学時代も作品の批評会の時間が本当に苦痛だった。

でもこの対話型鑑賞会は安心安全の場でそれぞれの感じることがシェアされて、様々な視点から絵を見ることができる。

過去の私なら、どの作品も出していなかったと思う。それくらいジャッジもあったしプライドも高かった。

描きあがった作品たち

でも今回は、プロセスの起きたままにすべての絵を出し、みんなからの感想をもらうことで、まったく違う視点を得ることができた。

そして、私の絵も、そんなに悪くないじゃん!と思えた。

アートとしてどうかと言われたらもちろんそれは土俵にも立てないと思うけれど、私が私の絵をどう思うかは私が決められるのだ。

どのコメントも本当に嬉しかったのだけど、1つ挙げるとしたら例えばこの絵は

楽しく指を置いていったアート

最終日に、時間が余ったので、これだけたくさんの絵の具の色があることを楽しもうと思って(70色以上!)、絵の具を全部キャンバスに乗せてみる遊びを考案した。笑

アート合宿の絵の具たち

まだ「自由に描く」技術はないから、反復しながら指でひとつひとつ色を乗せていった。

私としては、世界にはこんなにもたくさんの色があるんだ!という希望のような意味合いと、

それから「私の中にはこれだけたくさんの感情がある(=グラデーションで感じあいたい)」という意味を持たせたのだけれども、

フィードバックで、このひとつひとつの色は、人に渡すための「薬」で、自分の持っているものを分け与えていくイメージだと言ってもらえたのがすごく嬉しかったなあ。

きっとその薬とは、アロマやハーブなんだろうなあ(〃∇〃)(妄想)

今回の合宿でも、なにげに持参したアロマやレメディがかなり私を助けてくれた。

うふふ。

気づいてしまったこと

それから、みんなの絵を見ていてとっても大きなことに気づいてしまったんだけど・・・

絵に乗ってるエネルギーってめーちゃーくーちゃーすごい。

みんなの絵を見ていると、(例えばだけど)描いた人の「さびしい・・」とか「うれしい!!」といった感情がめちゃくちゃダイレクトに飛び込んでくる。

これにはびっくりした。

私が私の感覚・感情に素直でいればいるほど、それは飛び込んでくる。

芸術的なことや、知識は一切ないのでそちらはお手上げなのだけど、

感情やエネルギーは私読み取れるなあと思った。

これまでも、小さい頃から「人間って言ってることとその人の発してるエネルギーが違うなあ」と思うことばかりだったけれど、

きっと絵とか創作物って、思考の雲で覆われることがないからダイレクトに伝わるんだと思った。

シータヒーリングのリーディングで植物の声を聞いたときと、すごく似ている感覚だ。

今回の合宿ではたくさんのギフトを頂いたけれど、この気付きは本当に大きかった。

それから、もうひとつ気づいたのは、みんなのことを愛おしくて仕方ないと感じている私がいること。

あんまり全開にすると鬱陶しいだろうし(笑)、バウンダリーを超えてしまうのでフラットでいることを今回はものすごく意識したのだけど

自分に真摯に向き合うメンバーの姿を見ていると、とても愛おしい気持ちになった。

自分の子供かと錯覚した(笑)

そして、セッションも相手への「愛おしい」という気持ちが私にとっては何より大事なんだと知った。

合宿中に、タイミングよくあがっていた師匠のあけみちゃんの動画に感動して(珍しく自分から)メッセージを送ったのだけれども、

そのときにあけみちゃんに「ちえちゃんは、アートサイコセラピストになっていくんだと思えるよ」と言われた。

いつもの私なら「いやいや、私にはアートの才能ないんで、、」と全然ピンと来ていなかったのだけど、

そうか、こういうことなのかもしれない、と点と点が繋がりだしたように感じている。

カウンセリング・セラピーは病気の人だけが受けるものではなく、もっとカジュアルに受けられる世の中にしたい。

そうしたら、自分を痛めつける人が減っていくはずだと常々思っていたけれど、その架け橋となるものが見つけられなかった。

でもアート(厳密には絵を描くことや書道、陶芸、粘土など”表現”に関するあらゆるもの)が入り口だったら、その裾野を広げられるんじゃないか。

そんな希望を今感じて、ものすごくワクワクしている自分がいる。

これまで私もたくさんのセッションを受けてきたけれど、基本的にその場で気持ちを言語化することが苦手で、

クレヨンとスケッチブックでエネルギースケッチをしながら進んでいくことも多かった。

そして絵は、たくさんのヒントをくれることを経験している。

だからきっと、何かしら今回の合宿で学んだことと、セラピーを融合させることができるような気がしている。

やってみたいな。

ぼんやりした日々だったけれど、可能性の火が小さく灯ったような歓びを今、感じている。

私だからこそできることを、世界に還元していきたいな。

そんなことを思った、貴重な貴重な、アート合宿体験談でした!!!

うひひひひ。

おしまい。

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