エニアグラムファシリテーター/心理セラピストのちえです。
去年はじめたエニアグラム探究リーディングセッション。受けて下さった方が、もうすぐ150名を突破します。(嬉しい(T_T)ありがとうございます。)
学べば学ぶほどに、エニアグラムの奥深さ、凄さを痛感するとともに
エニアグラムを扱うことの難しさをめちゃくちゃ感じている今日この頃です。(いや、ずぅーーーっと感じていることです。)
何と言ったってエニアグラムは自己探求でしか自身のタイプを見つけることはできず、
外側から明示される答えがない、「答え合わせができない」学問だからです。
「答えが内側にしかない」。これが非常に難しいところであり、真理である・本物であることの証でもあるように感じています。それはカウンセリングやセラピー、心の探究と同じですね。
そんなわけで、久々に(亀の歩みすぎる💦)タイプの記事を書いてみます。
これまで過去にタイプ3・タイプ6・タイプ8と記事を書いてきましたが、今回はタイプ1。
関連記事:タイプ6は平凡?その素晴らしきエッセンスを解説します。
関連記事:タイプ3「成功」への誤解。その素晴らしきエッセンスを解説します。
関連記事:タイプ8は怖い?その素晴らしきエッセンスを解説します。
実は春ごろに、「そろそろタイプ1を書きなよぉ~」という声がまたどっかから聞こえてきて、そうだねぇ~と思った矢先に。
旅行で泊まったホテルの部屋に入ったら、たまたま飾られていた作品がこちらでした。
あいだみつをさん。大好きなんです。
みつをさんはタイプ1のエッセンスあふれる方だなぁと感じます。
そして旅行から帰宅後、いろいろなことがあって、私自身タイプ1の人たちについて学ぶ出来事が立て続けに起こりました。不思議ですねぇ。
そして極めつけは、映画「君たちはどう生きるか」の公開。これで、すべてパーツが揃いました。
今日はタイプ1という人たちについて、たっぷり書いていきますね。
冒頭に書いたとおり、エニアグラムというのは本当に難しいので、正しいタイプに辿り着くのはなかなか至難の業ですが、
タイプ1も、現代においてご自身がタイプ1であることに辿り着くのが難しいタイプの上位にあると思います。
まずはそれがなぜなのかを書いてみますね。
タイプ1が他のタイプに誤認しやすい理由
タイプ1が、ご自身のタイプであることに辿り着くのが難しい最大の理由は、なんだと思いますか?
実は…これはとても意外だと思うのですが、その最大の理由は
タイプ1について書かれた本の内容がもう古くなっているから、です。
がびーーん!!
はい。そうなんです。タイプ1のもつエッセンスは「正しさ」。それゆえに、本の記述だとものすごく生真面目で頑固一徹、堅物みたいな書かれ方になっています(実際、タイプ1の方はみなさん本当に真面目なんですがね。)
でも、これは30~40年前のアメリカ人のタイプ1の人たちの人物像を書いた内容なのです。(エニアグラムの本は30~40年前に書かれ、広まりました)
私たち人間は、進化しています。
30年も経てば、人物像もずいぶん変化しているのです。
だから、本を読んだタイプ1の人やまわりの人がイメージの中のタイプ1と照らし合わせて「◎◎さんは、タイプ1に見えないよぉ」と思ってしまうのも仕方のないことです。
近年では、タイプ1の人が自身をタイプ7だと感じる人が増えてきているそうです。成長の方向に向かっているということですね。
また、タイプ1はお隣がハートセンターのタイプ2、また統合と分裂の方向においてタイプ4とも線で繋がっています。
それゆえ、特に女性の場合などは柔らかさもあり、ハートセンターに見える/感じることも多いでしょう。
さらに、他から見るときちんとしていて友好的なところから、タイプ6だと誤認されてしまうこともよくあるでしょう。
そんな感じで、なかなかトリッキーなのですが、大事なのは、いつもお伝えしている通り
「その人を突き動かしている力・美質は何なのか?どの力によって人生を輝かせ、そしてどの力によって苦しんできたのか」という眼差しから見つめていく、ということです。
タイプ1の苦しみ
では先に、タイプ1というエッセンスを持つゆえに感じやすい苦しみについて、言及してみますね。
タイプ1は、ガッツセンターです。
本能や直感に優れ、丹田に重心があってどっしりとしています。
ガッツセンターは自分と世界の間の境界線が明確にあり、自己完結した世界を生きています。
また、根源感情が「怒り」です。
ベースに怒りがありますが、タイプ1はそのエネルギーが内側に向かいますので、自分に向かいます。怒りを表に出すことは人間として不完全だと考え、抑えるのです。
自分の中にはいつも内なる批判者がいて、自分や他者を律しています。
だからこそ、タイプ1の人は非常にリラックスすることが難しい傾向にあります。
この怒りの扱い方、そして改革者タイプ(非バランスタイプ)であることもあって、少し、いや、とっても不器用でもあるのがタイプ1です。
この不器用さを愛おしいなぁと、いつも私は感じています。
タイプ1の視点
ガッツセンターで怒りがベースで、それを抑えるためにリラックスが難しく、不器用。
「タイプ1って辛いなあ」なんて思ったかもしれません。
でもね、タイプ1のエッセンスって、本当に素晴らしいんですよ。
私たちがエニアグラム探究リーディングセッションを通して、タイプ1の人たち全員から、もれなく感じる圧倒的な美質があります。
それは、群を抜く、「本能的な正義感」と「コツコツ努力し続ける力」です。
このエッセンスは、他のどのタイプも真似ができない、突出したものだと感じています。
タイプ1は「1」、つまり数字のはじまり。数秘でも「ものごとのはじまり」の意味をもちます。
9タイプの中で数字が一番小さいので、最も視点が細やかです。ものすごく細かいところに気が付く力があります。
問題を感じ取り、改革していく人たちなのです。
この「細かいところ」というのは、気が利く(気持ち)とかまわりをよく見ている(状況把握)とかそういうことではなくて
人間の土台である生命、つまり「人間として」「人として」「命として」という視点のことを言っています。腹から来る、強い信念がある。
これが、本当にかっこいい。しびれる!!
タイプ1の方々の自分史は、いつもいつも、聴いていて感銘を受けるような、語録が出てきます。
みんなに聞いてもらいたいくらい。笑
・命としてどうなのか
・人間として正しく生きているのか?
・しょうもない人間界の慣例や謎ルールに潰されて、本来の命の輝きを失っていないか?
・お前は本当に自分らしく生きているのか?
・自分は自分を生きているのか?前の自分より成長しているのか?
そんなことに問いが立ち、私たちに問いかけてくれる、非常に強い正義感があります。
タイプ1の人がものすごく怒っている時があるとすればそれは、個人のことではなく、人間社会について問うていることがほとんどのように感じます。
タイプ1のアーティスト
ここで、タイプ1と言えば…ということでアーティストを挙げるとすれば、
夫のたっちゃんが世界一尊敬している宮崎駿監督が挙げられます。
言わずと知れた、日本のアニメーション監督・アニメーター・脚本家・漫画家ですね。
最新作の「君たちはどう生きるか」というタイトルがすでに、タイプ1のエッセンスに溢れています。
ちなみに、他の過去作品のキャッチコピーもこんな感じでした。
もののけ姫 『生きろ。』
崖の上のポニョ 『生まれてきてよかった。』
風立ちぬ 『生きねば。』
ガッツセンターかつタイプ1らしいテーマになっていますよね。
「からだ」を持つ人間として一番尊い、大事にしないといけないことは、しっかり地面に足をつけて「生きる」ということ。
この力強さは、他のセンターや他のタイプの人には持ちえない、タイプ1の人が自然と持っている美質に他なりません。
また、こんなことも言っています。
目の前の子供に「生まれてきてくれてよかった」って言いたい気持ちがあるから映画を作ろうって思うんです。
人間だけが生きるのではなくて、獣にも木々にも水にも生きる場所を与えるべきなのです。そういう思想が、かつての日本にはありました。
自分で、すぐ自分を許せる人間は、大した仕事をやらない。
才能とは、情熱を持続させる能力のこと
「すぐ自分を赦せる人間は、大した仕事をやらない」という言葉から逆説的にわかるように、宮崎駿という人は、自分に厳しく、自分を赦せない人だったと思います。
また、「才能とは、情熱を持続させる能力のこと」という言葉からも、タイプ1の人たちの素晴らしい美質「努力することの素晴らしさ」を伝えてくれています。
コツコツ努力することの素晴らしさを誰よりも伝えてくれるのが、タイプ1の人たちです。
そういった面も含めて、宮崎駿監督は本当にすごい芸術家だと感じています。
また、冒頭でお伝えしたあいだみつをさんもタイプ1の方ですね。
作品の端々から、そのまっすぐさと、そして人間としてのとてつもない優しさを感じずにはいられません。
タイプ1の人たちはとっても優しいです。
特に、なんだかあぶなっかしい大事な人たち(パートナーなど)をしっかり「生きさせる」という意味で、こんなに力強いサポートはないのではないかといつも思わされます。
最後に、タイプ1の素晴らしさ、宮崎駿監督の素晴らしさは、私ではなくたっちゃんに聞いた方が良い!ということで、熱く語ってもらいました。会話をこっそり録音してwww。
※本人は、「言葉にしちゃうと、感じていることの半分も表現できず薄まっちゃう」としょげていますが、許可を得て載せてみます。
★ご注意★「君たちはどう生きるか」のネタバレになりますので、見たくない人は飛ばしてくださいね。
めちゃくちゃ長いけれど…良ければ♥
[st-kaiwa1]ねぇねぇ、どうしてそんなに宮崎駿監督を尊敬しているの?どこに惹かれる?
正直さと真面目さ。それと「風の谷のナウシカ」を作ったこと、かな。
なるへそなるへそ。(←チャラい)
宮崎駿という人はすごい真面目で。で、真面目であるがゆえにすごい矛盾と葛藤をはらんでいるんだよね。
そうそう、そういうのが聞きたかった。それで?(ワクワク)
宮崎駿監督の作品にはいろんな思想が取り込まれていて、わりと日本的な思想も西洋的な思想も混ざり合った世界観なんだよね。
それをこのアニメーションていうものすごく分かりやすいものに抽象度を上げて表現しているんだよね。
で、あとはやっぱこの宮崎駿っていう人の葛藤の面白さがあるよね。
具体的には?
まずは兵器大好きなミリオタだけど、戦争大嫌い。裕福な家庭で、兵器産業で儲けてた家庭に育ち、学習院大学に進学するんだけど、一方でその後アニメ会社に就職して高畑勲とかと出逢って。で、そっちの共産主義的な思想にも惹かれ、労働組合とかでバチバチやって、みたいな。なんかね、それぞれの「正しさ」それも分かってるんだけど、その正しさ同士がぶつかるっていう葛藤。そこをすごく体現している人だと思う。
うんうん。
で、やっぱりすごくまじめなんだよね。
多分ね、他の人なら、それはそれで「今自分が惹かれている思想はこっちなんだ」みたいな感じで、「人間って(思想や好きなものは)変わるもんでしょ」という言葉で済ませてしまうようなことなんだけれども、やっぱり宮崎駿という人は、自分の中にある矛盾に対してすごく誠実に向き合うんだよね。そこにすごく人としての魅力を感じる。
なるほど~…。
自分が裕福な家庭で育ったことに対しても、「親がまぁ金持ちだったからしょうがないじゃん」とかじゃなくて、そこへの罪悪感とかがあるんだよね。戦時中の記憶としても「君たちはどう生きるか」の映画の中でもあったように、父親が「たくさん死んだらしいぞ。これでまた(兵器の)注文増えるぞ!」というシーンがあって。戦争に反対だけれども、人の死によって自分の幼少期は成り立ってたんだ、というすさまじい葛藤がある。そしてそこの葛藤をちゃんと見逃さない。
なるほどね。それはタイプ1の視点の細かさのなせる技でもあるということだよね。
うん。で、宮崎駿が東京から疎開していた宇都宮が空襲になった時。
映画での描写ともリンクするんだけど、駿の実体験として、空襲でみんなが逃げ惑っている中で、自分たちは悠々と車で逃げた。群衆の中を通った時に、車のドアを叩かれて「どうか乗せてください」と言われたのを一家は無視した。その体験が宮崎駿の中に残っているんだよね。
それを「当時は力のない子供だったからしょうがなかった」とか、「そういう時代背景だったからしょうがない」みたいなことにせず、見捨ててしまった自分、という自分の中の「悪」を見逃さない。
うーん!なるほどね。「正しさ」という美質を持ってるゆえに、正しくないことをしたっていうことが強烈に残ってるってことだよね?この罪悪感みたいなのもあるかもしれないけど、罪悪感とかっていう気持ちや思考の問題より、「正しくない」っていう…なんかこう…
そう、「自分にとっての『不正義』なこと、だね」。
まさに。「正義に反することをした」、というタイプ1の美質からくる感覚だね。
究極的には地球のためには「人間なんて滅びた方がいい」とどこかで思ってる人だと思う。僕はやっぱそこが宮崎駿の作家性だと思うし、ナウシカとかポニョとかはそういう世界観だと思ってる。
だから人間なんて滅びた方がいいとどこかで思ってる自分も正直な自分としていて、
うんうん。
その一方で、ものすごく「人間愛」を持ってる自分っていうのも間違いなくいて。その辺の価値観のぶつかりあい。そういうのがやっぱ宮崎駿作品の中に現れている矛盾と葛藤だよね。
宮崎駿作品の主人公たちはみんな矛盾を内包していて、そこに葛藤している人たちだと思うんだよね。そこがすごく魅力的。
なるほどね。今回の「君たちはどう生きるか」はどういう感じで受け取って感じとった?
宮崎駿っていうのはね、「風の谷のナウシカ」を作った人で、(特に漫画版ね。)あのスケールっていうのはすごいのよね。「君たちはどう生きるか」は宮崎駿の私小説のような印象も受けたけど、ナウシカの世界観を考えるとそれだけのちっちゃい世界じゃないよね、宮崎駿が描いているのは。ものすごく深い一人の個人っていう内的世界を描いているものだと思う。
で、「矛盾を抱えて生きている自分でいいんだ」という決意表明の映画だと感じたな。
最後といわれる作品で、矛盾や葛藤をはらんだ自分を赦したってことだよね。
そうそう。だからこの映画には多分いろんなモチーフがあって。
100%だとは言わないけれど、 あの大叔父は宮崎駿だと僕は思う。少年も宮崎駿。だから僕は、宮崎駿の「自分との対話」っていうのがあの作品のメインテーマだと思ってる。
うわー。すごい。(鳥肌)
なおかつ、ある意味年老いた死を意識した自分と、若くてこれから人生を切り開いていく若者である自分との対話をする中で、映画を見ている若者たちへのメッセージというのもすごいあるんだろうなって感じるんだよね。
やっぱりあの老人の方は理想に囚われすぎてるよね。
あの人は理想に囚われすぎた人で、概念の「美しいものだけ」の世界を作ろうとした人じゃないかと思う。
だからある意味神様?創造主的な感じで楽園の世界にインコとかを持ち込んで人間の醜さとかそういうものがない世界を作ろうとした。だけどあの世界ではファンタジーの世界っていうのかな?なんか謎の独自の進化体系があって、インコが人間化してしまう。
そして理想の世界は結果的には大衆化した愚かなインコたちに支配されてしまっている。
ほぉお。
今回のあの主人公の眞人は、屈折していて、あまりこれまでの駿作品ぽくないよね。
確かに!これまでの作品は、まっすぐなタイプ1の女の子の主人公が多かったよね(トトロのさつきとか、ナウシカとか。)
うん、まっすぐじゃないのよ。自傷行為をして自分の命を傷つける。
あれがどういう意図かっていうと、やっぱり自分を傷つけることで、誰かに悪意を向けようとしてるわけだよね。普通の人間と言うか、すごくその矛盾をはらんだ人間なんだよね。だけどやっぱそういう子がこの現実に根差して生きていく決意表明であり。
あ、ある意味さ、眞人もタイプ1ということでしょ。1のストレス状態をまさに描いているわけだよね。そしてその囚われを越えて行くということだね。つまりは、そんな(今までの作風と違って)闇の部分の自分も出したということだね。
最終的にどこに感銘を受けた?
やっぱりそういう矛盾をはらんで生きていく自分を許せたところ。だからなんかね、あのおじさんは言ってみれば本当は矛盾を抱えているんだけど、それをごまかして、権威化されてしまって。どこか正直じゃない、嘘のオーラを放ったと捉えている宮崎駿自身なんだと思う。
なるほどね、今の権威化された自分(駿監督)が、ってことだね。
そう。それを本当の自分、子供の目で見たときに、これは嘘だよと。だけど、その本当の自分は矛盾も抱えているけど、それでも生きて行っていいんだよ。みたいな、そういう生き方で良かったんだよ、という感じだと思う。
だから若者たちに自分に正直に生きなさいというメッセージもあると思うし、「自分はこの自分の生き方でよかった。」っていう自分への赦し。まあ、自分もいろんな矛盾を抱えているけど、でもこれが俺の生き方なんだよ。という感じだと。
そうだね。私も同じことを感じたよ。今言っているのはクライマックスの眞人の母親のセリフからそう感じ取ったんだよね。私もあのシーンを思い出すと涙が出てくる。嘘偽りのない自分ってことだね。
矛盾を抱えて生きるっていうことに焦点が当たり、エネルギーをすごい使うから、それがみんなを感動させる。最初から「まぁ矛盾あっていいじゃん。」という感じだったら、多分誰の心も打たないんだよね。
タイプ1の宮崎駿がこの世界のためには人間は滅んだ方がいいんじゃないかぐらいのことまで考えて、でも、いやこの悪であるこの醜い人間もこの世界の一部なんだと、そしてその矛盾を抱えて生きていくんだっていう。
そのプロセスが描かれてるから感動するんだよね。
素晴らしいね…。
かつての宮崎駿のエンターテイメントとしての冒険活劇っていうのはまさにその少年少女が宝物を求めて宝島に冒険に行くみたいな、そういう筋立てになってたわけだけど、特に今回のは顕著だけど、この冒険に行く対象っていうのが、内的世界、心の世界になっていってるんだよね。だから心の深い部分に傷がついた少年が自分自身と出会うという物語の筋立てとしてはすごく分かりやすい。
だから頭で理解しようとか裏のメッセージを解釈をしようとすると訳が分からなくなっていく。
今回の作品も結構賛否両論きっぱり別れるみたいだけど、あれは「アート」だからっていうことなんだよね。「理解したい」「解き明かしたい」という人にとっては、駄作に見える。
大事なのは「感性で見る」ということかな。
そう。だから子供たちの方がよっぽど感性豊かだから、この映画を観た子供たちは「面白かった!」という傾向にあるみたいだよね。それが本当に正しいと思う。
なるほどね。それと、この映画は宮崎駿監督の〇〇〇〇や〇〇〇〇のカミングアウトでもあるんだよね。
そう。
(でもこの話題はちょっとディープだし、タイプ1の記事にそぐわないので、このへんにしておこう笑。いつまでもしゃべり続けちゃうからね。笑)
「エニアグラムのタイプは前の数字を補う関係にある」と言われています。私とたっちゃんはタイプ9(ちえ=9w8、たつお=9w1)。
タイプ9は数字が大きく視点が一番ファジーなので、例えば矛盾についても「矛盾があっていいじゃない、みんないろいろあっていいじゃない」というおおらかな捉え方になります。
けれども、その分葛藤を避けてしまう。平和を守りすぎて、停滞してしまう。
その9を補う形で生まれたのがタイプ1。
細やかな視点をもち、この世界のあらゆる矛盾、不正義、細かなところに焦点が当たります。葛藤にとことん向き合うんですよね。だからこそ生まれるものがあり、改革されていくものがある。
宮崎駿監督からあふれる出るのは、まぎれもなくタイプ1の素晴らしきエッセンスだと感じます。
いかがでしたでしょうか。
タイプ1の素晴らしさ、伝わりましたでしょうか?少しでも伝わっているといいなと思います。
※画像は、スタジオジブリが提供して下さっている場面写真を使わせて頂きました♡ありがたい!